映画「顔を捨てた男」の概要
- 作品名: 顔を捨てた男(原題:A Different Man)
- 制作: A24
- 主演: セバスチャン・スタン
- 監督: アーロン・シンバーグ(長編3作目)
- ジャンル: 不条理スリラー、ダークコメディ
- あらすじ: 顔に極端な変形を持つエドワードが、外見を劇的に変える過激な治療を受け、新しい顔と「ガイ」という新たな名前を得て人生を再スタートする。しかし、自分に似た顔を持つ男オズワルドの登場をきっかけに、人生の歯車が狂い始める。
- 特徴: 映画全体が16mmフィルムで撮影され、1960〜70年代のトーンを持つ。
- 監督の経験: アーロン・シンバーグ監督自身も顔の症状(口唇口蓋裂)を持ち、強制治療の経験を持つ当事者である。過去の長編3作はすべて「見た目を巡る問題」を扱っている。
リスナーからの感想メール
番組に寄せられた感想メールはやや少なめでしたが、圧倒的に「賛」の声が多く、否定的な意見はごくわずかでした。
肯定的な声では、とても面白く、鑑賞後に自己を深く見つめ直した。ルッキズムに限定されず、広く長い射程を持った作品。アイデンティティを扱う過去作の要素をアップデートした意欲作などが挙げられました。
一方、否定的な意見としては、表面的には問題提起しているが、本質的には下世話なホラーで不快だったという指摘もありました。
ラジオネーム:りんさん
- 賛否: 圧倒的「賛」
- 比較対象: 『サブスタンス』とは軸が異なる。『顔を捨てた男』は『ビデオドローム』『イグジステンズ』に近い。
- 理論的背景: エリク・エリクソンのアイデンティティ論に基づく考察。
- 時間的連続性、自己斉一性、帰属感の三要素をエドワードは一つずつ喪失。
- 解釈: エドワードのアイデンティティ喪失過程そのものが、揺らぎやすい彼の本質である可能性。
- ラストの評価: 今年一番の終わり方。
- その他: エドワードの妄想の可能性、過去作との関連(『仮面』『ファイト・クラブ』)にも触れる。
ラジオネーム:ユーフォニアノビリッシマさん
- 賛否: 賛
- 印象: ルッキズム映画ではなく、広く刺さる作品。
- 個人経験: 吃音の経験と重ね、自身の空虚さへの問いを喚起された。
- 表現: 「見る人すべてに刺さる恐るべき作品」だと称賛し、「実はコンプレックスを言い訳にしていたのでは」という内省が映画後半にリフレインし、自分自身を見ているようだったと表現しました。
ラジオネーム:スタイレさん
- 賛否: 否定
- 意見: 下世話なホラーに思え不愉快。
- 宇多丸の見解: 俗悪さを含む意図的なバランスと受け止める。
宇多丸さんの解説
全体的評価
「めちゃくちゃ面白い。最初から最後まで居心地が悪い、挑戦的な面白さ」と総括
テーマ
映像メディアにおけるルッキズムの構造そのものを問い直し、観客の無意識にある差別意識や偏見を炙り出す仕掛けが施されています。主人公の内面化された差別意識と「自分という檻」に焦点を当てている点も特徴です。
映画的構造・ホラー性
- ニューロティックホラー(『テナント』『ボーはおそれている』)とボディホラーの融合。
- 冒頭から特殊メイクの構造を見せ、「映画的嘘」を暴く。
- 教則ビデオの欺瞞性と、観客の偽善性への問い。
周囲の反応の曖昧さ
- 差別的とも取れるが、実際にはそうではない可能性を残す描写。
- 観客の主観を試す構成。
オズワルドの登場
- エドワードの「上位互換」として登場。
- 観客の偏見を裏切り、炙り出す。
- アダム・ピアソンの存在感と当事者性が説得力を増す。
美と空虚さ
- 美しさが必ずしも内面の充足にはつながらない。
- 美の最大公約数性と、その虚しさ。
自分という檻
- 内面から輝く他者と比べ、自分の限界を突きつけられる体験。
- 普遍的な感情としての共感性。
- タイトル『A Different Man』の苦さと切れ味。
総括
『顔を捨てた男』は、ルッキズムやアイデンティティを超え、観客自身の主観に問いを投げかける挑発的かつ普遍的な映画体験。深く、苦く、そして忘れがたい一作として強く推薦されます。
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